2012年11月18日

クルーグマン教授の発言について

このブログでは政治や経済の話題は書かないことにしようと思っていたのですが、ゆえあって少なくとも衆議院議員選挙が終わるまではツイッターでは発言しないことに決めたこともあり、今回限り(たぶん)こちらに書くことにします。
コメントをいただいても回答できないこともあると思いますので、あらかじめお断りしておきます。ごめんなさい。

昨日、自民党の阿部総裁が「政権に復帰したら国債の日銀引き受けを検討する」と発言したというニュースを知りました。
私はとんでもないことだと思ってツイッターでつぶやいたのですが、意外にも逆にこの政策に期待している人も多いことを知り、驚いています。
まず、国債の日銀引き受け(政府が発行した国債を直接日銀が買うこと)が、「特別の事由」があって「国会の議決を経た」場合以外は、財政法第5条で禁じられているということをご存知でしょうか。
「それなら国会で議決するなり、財政法を修正するなりすればいいじゃないか」という意見の人もいると思いますが、その前になぜ国債の日銀引き受けをすべきではないとされているのか、考えてみましょう。
その理由は、大きく分けて2つあります。

ひとつは、過去の経験の反省からです。
「経済学にフリーランチはない」という、有名な言葉があります。
つまり、経済の問題を魔法のように解決してくれる銀の弾丸など、存在しないのです。
うまい話には裏がある、という言葉のとおり、一見非常にうまく行きそうに見える解決策は、実際には多方面に悪影響を及ぼし、効果が帳消しになるばかりか、時にはより大きな代価を支払うことにもなりかねません。
国債の日銀引き受けは、政府が無尽蔵に資金調達できる(ように見える)ため一見魅力的に感じられますが、いわば麻薬と同じで、大きな副作用があります。
いったん始めてしまうと歯止めが利かなくなりがちで、やめようと思ってもなかなかやめられなくなる、という点でも麻薬と似ています。
戦前の日本でも高橋是清蔵相が国債の日銀引き受けを行って日本経済をデフレから脱却させたという事例がありますが、実はその90%は市中消化されていたという話もありますし、その後高橋蔵相が日銀引き受けをやめようとしたところ軍事費の削減を恐れた青年将校たちによって惨殺されてしまった(二・二六事件)という結末は、その危険性を如実に示しています。
そして高橋是清の死後、国の借金はさらに膨張を続け、日本は戦争へと突き進んで行くことになりました。
その遠因も、国債の日銀引き受けにあったと考えられるかもしれません。

第二の理由は、現状で国債の日銀引き受けが日本経済へ与え得る効果は大きくないと考えられることです。
テレビやインターネットでの自称「エコノミスト」の発言をうのみにして、国債の日銀引き受けがデフレ脱却への特効薬だと思っている方も多いようですが、その実態は金融緩和の一手法に過ぎません。
つまり国債の日銀引き受けと同じ効果は、他の(もっと害の少ない)手法でも得られるのです。
今までも政府と日銀は一生懸命金融緩和をしてきましたが、日本経済はデフレから脱却できていません。
これは(異論もあるようですが)日本経済がいわゆる「流動性の罠」の状態にあり、いくら金融を緩和しても金利の上昇が喚起されない状況に陥っているからです。
そこへ国債の日銀引き受けによってさらに資金を供給しても、大きな効果は望めません。
実際、日銀は国債の直接引き受けこそしていませんが、買いオペによってマーケットからの購入は行っており、その残高はすでにお札の発行残高を超え、80兆円に達しています
これ以上の国債を日銀に引き受けさせることは、メリットよりもデメリットのほうが大きいのです。

ちなみに、国債の日銀引き受けと買いオペとの違いが分かっていない方も多いようなので、説明しておきましょう。
買いオペとは、いったん政府がマーケットで民間に販売した国債を、日銀が買い取ることです。この場合にはマーケットを経由するため、政府が常軌を逸した条件で売ろうとしても買い手がつかず、自然と金利や金額に歯止めがかかることになります。
一方、日銀引き受けの場合には、政府の発行した国債を直接日銀が買い取ることになります。
この場合、政府と日銀の相対取引になりますから、通常の市場ではとても買い手がつかないような金利や金額でも、日銀に引き受けさせることが可能です(実際、かつては市場と乖離した低い金利で発行された政府短期証券が、ほぼ全額日銀に引き受けられていました。ちなみに、為替介入などの政府の一時的な資金需要に対応するために発行される政府短期証券は財政法第5条の適用を受けないと解されています)。
そのため財政の節度が失われ、日本の通貨や経済そのものに対する信認も失われてしまうおそれがあるわけです。

ご理解いただけたでしょうか。
しかし、ちょっと待ってください。このブログの題名は「クルーグマン教授の発言について」だったはずです。一体その話は、どこへ行ってしまったようでしょうか?
実はこれまでの話は、単なる前置きです(ずいぶん長い前置きでしたが…)。

それでは気を取り直して、これからが本題です。
国債の日銀引き受けを主張している方々の中には「ノーベル経済学賞を受賞した経済学者でプリンストン大学教授のポール・クルーグマンもそうしろと言ってるから」という意見が時折見受けられ、確かにWikipediaにもそう書いてあります
しかし、これは本当のことでしょうか。
実のところ私にとって、クルーグマンという人は言っていることがコロコロ変わるという印象が強くてあまり好感が持てないのですが、それでも偉大な経済学者であることには異論はありませんし、本当に彼がそのようなことを言っているのであれば、傾聴に値すると思います。
しかし、少なくとも最近の彼は金融緩和よりも財政出動論者の印象が強く、本当にそう言っているのかどうか疑問を感じたので、調べてみることにしました。
まず、上記のWikipediaの記事には該当箇所に脚注番号9がついていて、これをたどって行くとこのページにたどり着きます。
そして、ここには確かに日銀はマネタリーベースを増加せよ、「PRINT LOTS OF MONEY」と書いてあります。
しかし、この記事には日付が書いてありません。いつのものでしょうか?
この記事の1階層上のページを見ると、「Other Writings」という見出しの下にこの記事「What is wrong with Japan?」へのリンクが張られていますが、ここにも日付はありません。
しかし、記事が日付の古い順に並べられていて、上下がいずれも1997年のものであることから、この記事は1997年に書かれたものだろう、と推測できます。
つまり、15年前です。

当たり前のことですが、15年もたてばクルーグマン自身の意見も変わっているでしょうし、何よりも日本やそれを取り巻く世界の経済状況が大きく変化しているので、たとえ当時有効だった政策であっても、現在そのまま適用できるわけがありません。
つまり、このWikipediaに書いてあることは以前は正しかったとしても、今となってはきわめて紛らわしく、見当違いのものであると言っていいでしょう。
またこの15年前の記事にしても、クルーグマンは「お金をたくさん刷る」ことが直接デフレ脱却に結び付くわけではなく、むしろそのことによる心理的効果のほうに期待していたように私には読めました。
ちなみにクルーグマンは、この夏に放送されたNHKの番組の中で「日本の政府債務残高の高さには危機感を持っていて」「『この私にもなぜ日本の国債が信認を維持できているのか分からない』と何度もつぶやいて」いたそうです。

この件に限らず、ツイッターなどを見ていると、賢そうな人たちが怪しげな言説に引っかかっているのをよく見かけます。
今ではインターネットという便利なものがあって、個人でもこのくらいのことは簡単にわかるわけですから、世迷言に釣られる前にせめて調べてみてはいかがでしょうか。

そうそう、クルーグマンの発言といえば、一昨年に週刊現代のインタビュー記事の中でクルーグマンが「日銀総裁を銃殺に処すべきだ」と言った、という話がありました。
今でも「エコノミスト」の方々を含め、そう信じている人は多いようです。
実はこの話、原文は「then it's time to bring out the big gun.」だったということらしく、もしそれが本当ならばめちゃくちゃな誤訳ということになりますね。
posted by ぽそこし at 18:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
国債の日銀引受をすべきでない理由の一つ目がすこし引っかかったのでコメントさせてもらいます。日銀引受におおきな副作用があるとおっしゃっていますが、それが具体的にどのようなものであるかも書いていただけないでしょうか?戦前に日銀引受をやったことと、国の借金が増えたことの因果関係についてももうすこし説明してもらえませんか?説明不足過ぎて無理矢理なこじつけのように感じられます。
Posted by 匿名希望 at 2013年01月03日 14:39
匿名希望さん:
戦前の金解禁から軍部の暴走に至る話については、日本の歴史について書かれた本を読むのがよいと思います。
それから、国債イコール国の借金であるということは理解されていますか?
因果関係も何も、借金そのものなんですよ。
それを「説明不足過ぎて無理矢理なこじつけ」と言われるような方には、何を言っても無駄でしょうから、これで終わりにします。
Posted by ぽそこし at 2013年01月03日 17:30
ご無沙汰してます、DSKのKFです。
とても役立つ説明をありがとうございます。昨年末某結社の2次会でN銀のKさんにインフレターゲットの話しをお聞きしました。イギリス方式をかなり強く意識しているようでしたよ。
さて、通販業者は低所得の方々の消費動向にも敏感ですが、有名な通販のタカダ社長は今の株高や高い期待感は4月頃までだろうと発言してるそうです。そこで、日銀が紙幣を大量供給してもそれらが一部の経済組織(金融機関等)に滞留してしまうことのないように、何か併せ技(今の日本の社会を刺激するような)を内閣&官僚はひねり出して欲しいものです。
それにしても、今の世の流れは昭和初期の世相と重なる部分が多く、きな臭く感じられますよ。ここは冷静に、世迷言や似非科学に惑わされない真摯な姿勢を維持していくことが大切だと思いますね。
そして、今年も何とか健康でまともな生活ができることを、願わずにはいられません。
Posted by KFuji at 2013年01月07日 23:42
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